次回予告 自宅敷地内に侵入したリー・シャンファを発見したゴメス。リーさんの運命や如何に。 ---------------------------------------------------------------- なんの拍子か、たまたまITmediaの小寺信良さんという人の文章を読んでいたら、中森明夫さんが「オタク」という言葉を"発明"したのが1983年のこととされてます。 Googleで検索してみたところ、どうやらこれは定説になっているようで、それは別にかまいませんが、「ん、『機動戦士ガンダム』のテレビ放映が終わったのが1980年のたしか年明けで、その劇場版公開と直前の『アニメ新世紀宣言』が1981年のことだから、1983年までには結構タイムラグがあるな。その間俺たちはなんて呼ばれてたっけ?」という疑問がわいてきました。「マニア」だったですかね? そのころ僕は、休日になると江古田にあった「まんが画廊」という喫茶店に入り浸っていて、そこで話の合う友人達と一日中だべってたりしたわけですが、すでに最初の『ルパン三世』に夢中になっていた者あり、『海のトリトン』にはまっていた者あり、そして間近に『宇宙戦艦ヤマト』のブームを経験していた僕たちの眼前で、1977年には『無敵鋼人ザンボット3』が、1978年には『無敵超人ダイターン3』、『未来少年コナン』が放映され、東映制作の長浜忠夫路線が隆盛を極め、一方で東映動画の「荒木美形キャラ」が、同好の女の子の人気を集めていたりしたわけです。当然だべりはオタク的なものになってゆきますわな。傍らではセルのコレクターが交換会やってたりしてね。 そのような環境下でおだてられた僕が、『月刊OUT』でアニメのパロディーまんがを描き始めたのが1980年の春先のことです。 前述したように1981年は『機動戦士ガンダム』劇場版の公開年。 『アニメ新世紀宣言』には関わりませんでしたが、劇場版第3部となる『めぐりあい宇宙』編では宣伝の手伝いをさせてもらい、このころから新宿御苑のそばにあった『月刊アニメック』編集部に遊びに行くようになります。 1982年には6年勤めた会社を辞め、前年からの流れで『伝説巨神イデオン』の劇場版公開へ向けての宣伝活動を手伝い、『アニメック』でまんがを描き始めます。より頻繁に出入りするようになった『アニメック』編集部と同じビルにはアニメショップの先駆けとなったアニメックショップが入っていて、「まんが画廊」でも見かけたことのあるセルのコレクターが出没したりしているわけですよ、はい。 そういえば彼はよく他人に「おたく」と呼びかけていたように記憶していますが、そのあたり記憶違いかもしれず、断言は出来ません。 とにかくまあそういう周辺環境。1982年時点ですでにこの有様です。 で、そんな状況下で僕らはごく普通に「○○はオタクだからなぁ」「それを言ったら俺も俺も」みたいな会話をしていたような記憶があるんですが、そのあたりどうだったですかね、小牧さん?いや、岡田さんでも良いんですが、記憶の定かな人はいないものでしょうか。 どうも僕は、中森さんが"発明"したという言われ方には昔から疑義を感じているんですが。 いや、第三者として"発見"して一般化したのは確かだと思っていますが、当時の濃いマニアを指して「オタク」と呼ぶこと自体は、発明者が別にいるか、もしかしたら日本全国で同時期に自然発生していたんじゃないかと思ったもんですから。 ---------------------------------------------------------------- と、こんなことを書いているうちに(9日現在)JRAの岡部幸雄騎手が現役引退とのニュースが。 『じゃじゃ馬グルーミン・Up』の刑部騎手のモデルになってもらった(というか僕が勝手にモデルにしてしまった)最年長騎手です。競馬中継のパドック画面で「岡部幸雄(56)」とか表示されると、もはや斤量なのか年齢なのか判らなくなるくらい長い間、トップジョッキーとして活躍してくれました。 名騎乗は数々あって、いろいろな人が述べることでしょうから、個人的に印象に残っているレースを。 そーだなー、福島でノーブルアクションを鼻差(だったと思う)で勝たせたレースとか、エアダブリンで的場シュアリーウィンと演じた2度の戦いとか、かかりっぱなしのビワハヤヒデで勝った春の天皇賞後の疲弊ぶりとか、田んぼのような馬場でシンコウウインディを…なんか苦闘の跡の見えるレースばかりだ。 あ、そーだ。グルメフロンティアが好きだったので、1998年のフェブラリーステークスは嬉しかったです。ジョッキーも楽しそうだったしね。 昨年は1年以上の長期休養明けから60勝も上げて、今年は通算3000勝も達成かと期待してましたから、それだけはちょっと残念ですが、ここはただただお疲れさまでしたと言うほかありません。 これからもお元気で、できれば競馬の周辺に関わりつつ、海外で馬主やっちゃったりしながら、更に人生を楽しんでほしいと思います。
[2005-03-11 01:56:38]
http://www.yuukimasami.com/sketchbook/index.php?id=49077555b9040ae072a5983c158b1122
ホントはいつから「オタク」なの?
次回予告
自宅敷地内に侵入したリー・シャンファを発見したゴメス。リーさんの運命や如何に。
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なんの拍子か、たまたまITmediaの小寺信良さんという人の文章を読んでいたら、中森明夫さんが「オタク」という言葉を"発明"したのが1983年のこととされてます。
Googleで検索してみたところ、どうやらこれは定説になっているようで、それは別にかまいませんが、「ん、『機動戦士ガンダム』のテレビ放映が終わったのが1980年のたしか年明けで、その劇場版公開と直前の『アニメ新世紀宣言』が1981年のことだから、1983年までには結構タイムラグがあるな。その間俺たちはなんて呼ばれてたっけ?」という疑問がわいてきました。「マニア」だったですかね?
そのころ僕は、休日になると江古田にあった「まんが画廊」という喫茶店に入り浸っていて、そこで話の合う友人達と一日中だべってたりしたわけですが、すでに最初の『ルパン三世』に夢中になっていた者あり、『海のトリトン』にはまっていた者あり、そして間近に『宇宙戦艦ヤマト』のブームを経験していた僕たちの眼前で、1977年には『無敵鋼人ザンボット3』が、1978年には『無敵超人ダイターン3』、『未来少年コナン』が放映され、東映制作の長浜忠夫路線が隆盛を極め、一方で東映動画の「荒木美形キャラ」が、同好の女の子の人気を集めていたりしたわけです。当然だべりはオタク的なものになってゆきますわな。傍らではセルのコレクターが交換会やってたりしてね。
そのような環境下でおだてられた僕が、『月刊OUT』でアニメのパロディーまんがを描き始めたのが1980年の春先のことです。
前述したように1981年は『機動戦士ガンダム』劇場版の公開年。
『アニメ新世紀宣言』には関わりませんでしたが、劇場版第3部となる『めぐりあい宇宙』編では宣伝の手伝いをさせてもらい、このころから新宿御苑のそばにあった『月刊アニメック』編集部に遊びに行くようになります。
1982年には6年勤めた会社を辞め、前年からの流れで『伝説巨神イデオン』の劇場版公開へ向けての宣伝活動を手伝い、『アニメック』でまんがを描き始めます。より頻繁に出入りするようになった『アニメック』編集部と同じビルにはアニメショップの先駆けとなったアニメックショップが入っていて、「まんが画廊」でも見かけたことのあるセルのコレクターが出没したりしているわけですよ、はい。
そういえば彼はよく他人に「おたく」と呼びかけていたように記憶していますが、そのあたり記憶違いかもしれず、断言は出来ません。
とにかくまあそういう周辺環境。1982年時点ですでにこの有様です。
で、そんな状況下で僕らはごく普通に「○○はオタクだからなぁ」「それを言ったら俺も俺も」みたいな会話をしていたような記憶があるんですが、そのあたりどうだったですかね、小牧さん?いや、岡田さんでも良いんですが、記憶の定かな人はいないものでしょうか。
どうも僕は、中森さんが"発明"したという言われ方には昔から疑義を感じているんですが。
いや、第三者として"発見"して一般化したのは確かだと思っていますが、当時の濃いマニアを指して「オタク」と呼ぶこと自体は、発明者が別にいるか、もしかしたら日本全国で同時期に自然発生していたんじゃないかと思ったもんですから。
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と、こんなことを書いているうちに(9日現在)JRAの岡部幸雄騎手が現役引退とのニュースが。
『じゃじゃ馬グルーミン・Up』の刑部騎手のモデルになってもらった(というか僕が勝手にモデルにしてしまった)最年長騎手です。競馬中継のパドック画面で「岡部幸雄(56)」とか表示されると、もはや斤量なのか年齢なのか判らなくなるくらい長い間、トップジョッキーとして活躍してくれました。
名騎乗は数々あって、いろいろな人が述べることでしょうから、個人的に印象に残っているレースを。
そーだなー、福島でノーブルアクションを鼻差(だったと思う)で勝たせたレースとか、エアダブリンで的場シュアリーウィンと演じた2度の戦いとか、かかりっぱなしのビワハヤヒデで勝った春の天皇賞後の疲弊ぶりとか、田んぼのような馬場でシンコウウインディを…なんか苦闘の跡の見えるレースばかりだ。
あ、そーだ。グルメフロンティアが好きだったので、1998年のフェブラリーステークスは嬉しかったです。ジョッキーも楽しそうだったしね。
昨年は1年以上の長期休養明けから60勝も上げて、今年は通算3000勝も達成かと期待してましたから、それだけはちょっと残念ですが、ここはただただお疲れさまでしたと言うほかありません。
これからもお元気で、できれば競馬の周辺に関わりつつ、海外で馬主やっちゃったりしながら、更に人生を楽しんでほしいと思います。
[2005-03-11 01:56:38]
http://www.yuukimasami.com/sketchbook/index.php?id=49077555b9040ae072a5983c158b1122